記号から文字へ
文化をかたちづくる重要な要素として、まず挙げられるのが、道具と言葉です。それに火を加えてもいいかもしれません。道具は、日本列島でつくられた縄文土器が、世界最古の土器のひとつであるとさえ言われるほど、日本では古くから用いられていました。もちろん、縄文時代(約1万5000年前~約2300年前)の人びとも言葉を話していたことは間違いありません。ただし、日本には中国から漢字が伝えられるまで、文字らしい文字はありませんでした。
現在知られている最古の洞窟壁画であるショーヴェ洞窟(約3万2000年前)にも、記号やシンボルのような描写が残されているように、縄文土器や弥生時代の銅鐸にも記号めいたものが描かれています。縄文土器の文様の一部も、何かの物語をあらわすとする説もあります。しかし、それらはいずれも「文字」の原型ではあっても、言葉(声)との規則的な対応関係がある文字そのものではありません。
また、日本独自の文字としてカタカムナ文字、筑紫文字、阿比留草文字、阿比留文字 、出雲文字などの神代文字(じんだいもじ/かみよもじ)が取り上げられることがありますが、それらは漢字渡来以降……そのいくつかは近世になってから……「創作」されたものであるとする説が有力です。
文字を持たない古代の日本列島の人びとにとって、中国から渡来した漢字は、かなりの衝撃だったと思われます。白川静氏の研究にあるように、漢字そのものが呪術性に富んでいたこともあり、漢字はマジカルでミステリアスな道具にほかならなかったのでしょう。
文字のない国と言霊の国
万葉時代には、日本は「言霊の幸はふ国」であることが盛んに強調されるようになります。もともと言葉に霊力がこもるという思いはあったのでしょうが、おそらく漢字の呪力を前にしたとき、日本では言葉(声)そのものに呪力があるのだということを、あらためて強く意識したのだと思われます。中国の文字霊に対する日本の言霊ということでもあります。
言葉は、世界を切り分けるもの。例えば世界から空を、空から雲や星や太陽を、名状することによって切り分けていきます。連続した時間と空間を声で分節する……つまり言葉は最初の「分」析の道具でもあったのです。漢字のような表語文字も、世界を視覚的に分断し分節し分析するものです。
万葉仮名の複雑なシステム
『万葉集』や『古事記』は、こうした二つの「分析結果」をすり合わせる実験の場でもありました。日本の言霊を中国の文字霊に置き換えるという、壮大な試みだったのです。万葉仮名の創出です。不思議なことに、当時の日本人は、漢字の音を日本の音に当てはめると同時に、漢字の意味を日本語の意味に当てはめるという二つの方法をあえて混在させていたようにも見えます。音読みと訓読みの起源でもありますが、一つの文字に多様な音が対応するという、日本語のユニークさの起源もここにあります。
しかも漢字の音は、ときと場合により中国の地域によって異なる発音、つまり呉音、漢音、唐音などが混在し、訓読みもまた一様ではありません。しかも漢字で表現された言葉に同音意義語があるばかりか、もともとの日本語「やまと言葉」も、一つの音節が複数の意味をはらむ場合が少なくありません。日本では、文字が使われるようになった途端に、なぜかこれほど複雑なシステムが導入されたのです。意味にも音にも揺れ幅が大きい日本語は、漢字使用の当初から、文脈によって意味と読み方を即座に判断することが要求されていました。それはあたかも、対象によって接眼レンズと対物レンズという二つの焦点を合わせ続けなければならない顕微鏡によって、世界に向き合っているようでもあります。この揺れ幅の大きさと文脈への依存は、以降の日本の感覚と論理に大きな影響を与えました。
一方、アルファベット型の表音文字文化圏では、基本的には文字(もしくはスペル)と音は一対一に対応しています。一部に発音されない文字や、英語のように必ずしも音と文字が厳密に対応していない例もありますが、日本語に比べれば、揺れ幅は極めて少ないと言ってもいいでしょう。「単純な眼鏡によって世界を見渡している」と喩えてもいいかもしれません。
「こと」と「もの」と「うた」
日本古来の言葉であるやまと言葉において、「こと」と「もの」は重要な位置を占めています。「こと」は事であって言であり、「もの」は者であって物であり、ときには霊や鬼も「もの」と読みます。「こと」は単純に事態のことではなく、「もの」が単に事物や物体を意味するわけでもありません。
「もの」が「霊」でもあった事実は、現代語においても「すごい」と「ものすごい」、あるいは「さびしい」と「ものさびしい」のニュアンスの違いにまで影を落としています。また「ものがたり」も単なるストーリーではなく、霊や魂の来歴を語るものでした。中世になって盛んに語られるようになる「もののけ」(妖怪)は、事物となった「もの」が本来の「霊」を取り戻した姿なのかもしれません。
「言霊の幸はふ国」とは、「こと(言)」と「もの(霊)」の幸はふ国ということでもあったのです。独特な言葉のテクノロジーやノウハウも発展しました。あえて言葉にしてみせる「こと挙げ」、言葉の本来の機能を強調した「こと分け」、言葉自体をネットワークのハブとみなす「こと寄せ」、そしてとりわけ「うた」に言葉の技術が凝縮されていきます。地名そのものが景観や風物などのインデックスとして使われる「歌枕」や、言葉同士を呪術的に結びつける「枕詞」や「掛詞」などです。
日本の文字の誕生
そんな言霊の国では、言葉をひとまず漢字に乗せてみたものの、呪術的であると同時に合理的でもある漢字だけでは、独自のニュアンスを収拾できなくなっていきます。漢字に納まりきれない気配のようなもの、あるいは、漢字からはみ出した勢いが、平安時代初期に仮名を生み出しました。とくに平仮名の開発は、書き言葉における「日本語の発明」と言えるほどの大事件です。そもそも大陸では、漢字の歴史は骨や石に刻まれることからスタートしました。一方日本では、そのはじめから筆で紙に書かれるものでした。中国の文字は確固としたもの、普遍的なものであり、日本の文字はそのスタートから柔軟だったのです。柔らかい平仮名の誕生は、必然だったのかもしれません。
平仮名、片仮名、漢字が一つの文章に同居するという日本の文字表現の大きな特徴も、次第に一般化していきます。現代ではさらに、アラビア数字やアルファベットがこれに加わります。音読み、訓読みの混在に加え、起源を異にするこれら多様な文字が混在することで、日本の書き言葉、そして話し言葉もまた、西洋的な論理では捉えきれない論理性(あるいは非論理性)を持つことになったのかもしれません。それはまた、ときには日本語の曖昧さであるとか、いい加減さであるとかと表現されますが、実は、多様な起源をもつ論理と感覚が一体となった、重層的な言葉であることの証しでもあるのです。
空っぽの世界
さて、流れるような平仮名の筆法の登場とともに、「うつろい」の感覚が定着していきます。方形を基本とする漢字の形によって拘束されていた古来の感覚が、仮名文字によって甦ったのかもしれません。
古代において「うつ」は空洞や空虚な状態をあらわす言葉でした。「空」や「虚」であり、「鬱」でもあります。土器や銅鐸のような中空の道具も「うつ」であり「うつろ」でした。それらはまもなく「空輪=器=うつわ」になります。空洞であるからこそ、そこに何かが入れられる、あるいはやって来るわけです。また、うつろな容器に風が吹き込んで音を立てることが、「おとづれ/おとずれ」です。
それはまた、カミやモノ(霊)の招来を意味しています。神社のご神体がときに空っぽの箱や器であること、神社の構造が基本的に伽藍堂であることも、空虚であるからこそ、そこにカミが宿り、霊威が発揮されると考えられていたためです。
うつろひからワビ・サビへ
ウツなる空間や場所をおとずれたカミやモノは、やがて去ってゆきます。「うつろひ/うつろい」です。そしてうつろうものこそが、「うつくし」いとされました。平安期になり、平仮名の登場と、仏教の無常感の定着を通じて、「うつろい」の感覚、美意識がますます醸成されます。日本の自然観や美意識を象徴する「花鳥風月」という言葉も生まれました。花は散るもの、鳥は飛び立つもの、風は吹き去るもの、月は欠けるもの、いずれもうつろうものなのです。
中世になり、貴族文化が衰退し、打ち続く戦乱の中、貴族たちがつくりあげた建築や工芸品は、庇護者を失って朽ち果てるものが少なくありませんでした。無常感がますます醸成されるとともに、朽ち果てたもの、また朽ち果てゆくものの裡にも「うつくし」さを見出すようになります。ワビやサビ、そして幽玄の美意識です。それらはうつろいの果てにある美であるのかもしれません。
分節と分析の彼方
戦国時代末期には、すでに中国から木活字の技法も伝来していました。徳川家康が木活字による書物刊行を試みたのを例外として、江戸時代を通じ、出版文化の中心で活字が使われることはありませんでした。活字が西洋伝来の鉄砲のように日本に定着しなかったのは、活字のユニット感覚が漢字仮名まじり文の連綿とした書法、さらに言えば「うつろい」の感覚となじまなかったためでしょう。漢字を使いながらも、すでに独自の文字文化を発展させていた日本にとって、活字はかつての漢字のようにスムーズに受容できるようなものではなくなっていたのです。本格的な活字の使用は、西洋文化を積極的に受容した明治維新後を待たなければなりません。
言葉や文字は世界を分節することによって誕生しました。しかし日本の文字文化は、平仮名やうつろいの感覚に象徴されるように、どこかでうつりゆく世界の中に戻りたがっているかのようにも見えます。
分節(あるいは分析)は、世界を把握するために欠かせない方法であることは間違いありませんが、分節された瞬間に、そこからこぼれ落ちてしまうものもあります。あるいは、分節したその先には言葉で綴られる論理では捉え難い世界が広がっている可能性もあります。複雑でときには不可解にも思える日本の言葉の感覚……あるいは感覚論理と言ってもいいでしょう……には、見失ってしまった世界や、まだ見ぬ世界に向き合うための鍵が隠されているのかもしれません。