中世ヨーロッパでは「記憶すること」が
何より重要なものをみなされていた。
膨大な情報を暗記する「記憶術」の世界とは。
3.14……から始まって無限に続く円周率。それをひたすら暗記することに情熱を傾ける人達がいます。現在、その世界記録保持者は何と日本人! 原口證さんという方で、しかも83431ケタを暗唱したというから驚きます。「一体どうやったら覚えられるのか?」という疑問が出るのは当然ですが、その秘訣は「語呂合わせ」。誰しも、学生時代に「ヒトヨヒトヨニ……」「フジサンロクニ……」と試験の前に口にしたはずの、アレです。原口さんは、独自の語呂合わせをベースに円周率の数列を「壮大なストーリー」にすることで、世界記録を打ち立てたのです。
さて時代をさかのぼって中世のヨーロッパ。当時は「書物」は大変な貴重品であり、図書館で厳重に管理されているものでした。したがって学問を修めようとするものは、まず何より書物に書かれているものを「記憶する」ことが必要でした。そのため、様々な「記憶術」が発達しました。この記憶術の伝統は、古代ギリシャあたりまでさかのぼるもので、当時の弁論家は記憶だけを頼りに長時間話し続けることができました。
ギリシア・ローマ時代の代表的な記憶術は、場所と記憶を組み合わせるもの。まず頭の中に「蝋の書字板」あるいは「パピルス」をイメージします(要は何か書きつけるもの)。次に、その上に記憶したいものを並べていくというものです(文字を書いていくように)。こうすれば、後から思いだす作業は、すなわち並べられたものを呼び出していくことになります。うまく行うコツとして、途中に何か印象的な目印を置いておくのがいいようです(黄金の手とか、友人の名前とか)。これを基本に、連想法や語呂合わせも組み合わせて、記憶を確かなものにしていったと思われます。
また記憶を「貯蔵する」場所をイメージする方法もよく使われました。「蝋の書字板」が2次元的なものであるのに対して、こちらは立体的で構造化された記憶法と言えるでしょう。鳩舎や家畜の檻、蜜蜂の巣などがイメージされていたようです。今なら頭の中に書棚や図書館を思い浮かべるようなものでしょうか。
こうした記憶術は、まさしくベースとなる理論と、独自のルールによって構築された、まぎれもないテクノロジーの体系だと言えます。私たちが、試験前夜に「力技」で、数学の公式や歴史の年号を頭に詰め込もうとしたような暗記法とは根本的に異なるものです。
現代は、記憶することがそれほど重要視されない時代かもしれません。友達の電話番号は携帯電話に記録されているし、インターネットでは膨大な情報を得ることができます。何か大量な情報を記憶することは、「趣味」の領域と思われています(円周率の暗記など)。逆に、「ただ覚えることに頭を使うよりも、もっと創造的なことに頭を使え」と言われるかもしれません。
しかし中世では事情が違っていました。コンピュータどころか、誰もが本を持てる時代ではなかったのです。創造的な思考に必要な膨大なデータをしまっておけるのは、自分の頭の中しかなかったのです。でも自分で記憶しているからこそ、常にその情報を引き出すことができ、そこから画期的なアイデアが生まれるとも言えます。
書棚に大量の本を持っていても、読もうとしなければ意味はありません。無理に覚えなくても困らない時代だからこそ、あえて記憶することの大切さを、もう一度考えてみてはいかがでしょうか?